一緒に住んでないとダメ,という精神領域侵犯に耐えるために


今日の一枚:開花しそうな桜の蕾


相方と離れて住んでいるため,「一緒に住んでないとダメだ,可哀想,ダメになるよ」という主張にさらされることが多い。「それなりに幸せなんです」と返すと,「強がっちゃって可哀想ねえ」と言われることもしばしば。


このような主張は特に高齢者(60代以上)からされる。
毎朝エレベーターで会う70代くらいのおばあさんに単身赴任中だと話し,しばらく早出で会わなかったあと久しぶりにお会いしたら,「まあ,しばらくお見かけしなかったから,寂しくて実家にお帰りになったかと思いましたよ」と言われた。作り話のようだが,実話。私の仕事ぶりを評価して下さるOBの方々からも,旦那が可哀想だな,一緒に住まないと,とよく言われる。


このような主張を受けるのは,正直苦手だ。自分の価値観領域にずかずか踏み込まれて,荒らされる気分を味わう。
しかし,なぜかこの領域には踏み込まれやすい。その理由について考察した。


理由1:自分自身で「結婚して離れて仕事する」ということに後ろめたさを感じている
構造的な問題(といいつつのろける)。離れていると,お互い会っている時はとても大事にしてもらえる。すると「大事にしてもらえている」という嬉しさから,相手をより大事に,深く想うようになる。すると離れていることが辛くなり,「なんで離れてまで仕事してんだろ」という気分に陥る。


理由2:その人の価値観,常識とかけ離れた選択であるため間違っていると主張されやすい,経験による共感がなされにくい
結婚して離れてまで仕事をし続ける必要はないと思う人にとって,私の選択は常識とかけ離れたものだろう。「愛が全てだ,家族が一番大事」という価値観に反するように見え,それらを犠牲にしているというイメージを持たれやすい。
また,私の周囲にいらっしゃる60代の高齢者の方々のほとんどは,地元出身の方が多い。このような方々は,おそらく大家族でにぎやかに楽しく過ごすという生活がメインで,一人暮らしの経験がないか,少ない。そのため,一人暮らしの良さや楽しさを知らず,一人でぽつんと暮らしている寂しい人,というイメージだけで判断しているのではないかと推測する。つまり,経験がないので共感しにくい。このことは,マイナーな選択をしているほど強く働く。同じ選択をし,同じような経験を積んだ人が少ないためである。


対処方法:
・共感が得られない,むしろ「一緒に住まなきゃダメ」攻撃を受けるのが普通と考える。そんなもんだ,と割り切った方が楽。
・他人がどう思おうと自分は幸せだという領域を守る。他人の価値判断で生きる訳ではないのだから。